子供の頃の私~マイストーリー~

昨日、母の病気のことを知り、親孝行らしいことをしていないなと反省しました。
今、私にできることは、手術がうまくいくようにボディートークの遠隔セッションをしてあげることです。
母とは考えの違いから反発することが多かったけれど、感謝しています。

【子供の頃の私】

私は、岩手県奥州市で生まれました。両親と5歳離れた兄、祖父母の6人家族。
両親は共働きで忙しく、私は祖父母といる時間が多かったと思います。毎晩、寝るときに、おじいちゃんが空想上の話しをしてくれて、それを聞くのが楽しみでした。
今の私のスピリチュアルな感覚はここからきているかも。

小さい頃から人見知りが激しく「おとなしいね」と会う人、会う人に言われるのが本当に嫌でした。おとなしい=だめな子、のような気がして。

他の友だちのように、キャピキャピと、はしゃぐことができなかったです(それは今も変わらず)。いつも冷めていて、自分も子供なのに「子供っぽいな~」と遠くから眺めているような、かわいらしさが1ミリもない子でした。

活発な性格で生徒会長をやっていた兄と比べられ、母から褒められた記憶がありません。
母から「お兄ちゃんの方が好き」と言われたときはショックで、とても悲しかったですね。

後からそのことを母に聞いてみると、一般的に、男親は娘がかわいくて、女親は息子がかわいいということを言いたかったらしいです。

相手の気持ちをよく考えないで発言する人なんですよね。悪気がないのはわかるけれど、一度でいいから「大好き」と言ってほしかったかな。なので私の息子には「大好き」といつも言ってました。今でも時々言います。だって大好きだから♡

ちなみに、父は喫茶店を経営していて、ほとんどすれ違いの生活でした。

中学生になってからは、ソフトテニス部に入部!大好きな仲間ができて、部活を全力で取り組み、地区の予選で準優勝しました!
今の家族から運動が苦手と思われてますが、実は走るのが早く、リレー選手にも選ばれていたんです。それを言っても信じてもらえない。。

この頃、悲しい出来事がありました。大好きなおばあちゃん、数ヶ月後におじいちゃんが亡くなりました。
私の味方がいなくなってしまった喪失感。悲しすぎてしばらく涙が出なかったです。

それから反抗期が始まり、家族と話すこと、顔を見るのも嫌でした。

人生で一番楽しいはずの高校生時代の記憶は、ほとんどないです。女子クラスに馴染めずに、楽しい思い出がなかったですね。商業高校だったので、簿記などの資格を一つでも多く取るため必死に勉強していました。
この頃の夢は、東京に行くこと!!不安は一切なかったです。さて、反抗期はいつまで続くのか、、、?

マイストーリー【子供の頃の私】は以上です。読んでいただき、ありがとうございます。

親だからといって、完璧ではない。親だから全てわかりあえるとは限らない。
だからこそ、学びがあったと感謝しています!母は言葉が足りなくて誤解されてしまうところがあるけれど、誕生日には毎年プレゼントを送ってくれる優しいところがあります。

「お母さん、ありがとう! 」帰ったら伝えたいと思います。

☆はじめての方にはこころセッションがおすすめです!